遅いけど最近になって気付いたこと

私は生き方がへたくそだ

というか周りを見てるとへたくそだと分かった

新しいバイト先でも、一緒に入った人の方が、技術はともかくコミュニケーションの取り方で大きく周りと仲良くなっているように見える

自分も頑張ろうと周りの先輩や同僚に声をかけてみるものの、なんだかしっくりこない

違和感まみれの中で、話してくる人に対しても、面白くなくてもとにかく笑っている

どれだけ気疲れして、のびのびと話している人間をどれほど羨んできたか

徐々に自分がおいていかれているような気持ちになる

今までの経験から、作り笑いは時によって仲を深めたり、逆に気を使わせてしまうことを分かっている

しかし、その状況をうまく察することができない

一時期は病気なのでは?と、病気の自分と向き合い友達との付き合いを減らしていた

 

上手くいかなかったと片付けていたコミュニケーションの違和感は、ずっとほっておいたものの、最近になって片付けられないほど、悩みとして脳を浸食していった

 

リハビリを始めようと、新しいバイト(カラオケ店)に応募し、面接も酷過ぎるものだったが、なんとか採用させてもらった

非常に不安な中、研修生として入れてもらう

そこで出会った2人のアルバイト従業員は、明るい20代後半の女性と、来年から就職するちょっとケバイ女性だった

 

どちらも本当に良い人で、私の何度もするミスを怒らず丁寧に笑いながら教えてくれた

私の性格なら、自分の連続ミスに対して本当に嫌気がさすほどの自分のできなさだった

 

バイトの帰りの挨拶も、嫌な顔一つせず私にてを振ってくれた

ここまでされてようやく私は、自分相手に対して否定的に物事を見ていたのだと気付いた

話しはじめから、この人の印象は○○だからこんな人だろう

話の途中も、話せるかなとか、話がつまらないと思っているだろうなとか

なぜ思っていると勝手に決めつけることができて、思っているとは限らないと解釈できないのか

 

優しい人にすがりつくことは簡単で、心の広い人とだけ話すのも簡単だ

でも、生きていく上でそういう選別だけを貫くなんて、多分無理だろう

だから癖を直す、というわけではないのだが、ストレスの根源であった、人と話せない自分は病気であると思いこみ、自分の生き方を自分で否定していくのはやめたいと思う

自分がそんな風に生きる事を受け入れてあげ、生きやすい思考を身につけたい

受け入れ、認めてあげることで、いろんな人と話すことが可能になってくる

自分の生き方を「今はそれでいいんだ」「次がある」と肯定しよう