ピエロな自分

感情のみで動く人間
損得のみで動く人間
その両方を持つ人間
 
さらに、それに没頭せず遠くから自分自身を見る人間だけがこの世に存在すると思う
特に損得だけで動く理性の塊な人間と、自分の感情だけで物を見る人間は、違うように見えて
見るべき視点で見ると同じである
何が同じなのか、それはどちらも自分として没頭しているということである
意味がわからないと思うのは、自分が人として日々の生活に没頭しているからである

少しでも意味がわかるなら、自分は変われる、自分の感情や理性を支配できる人間だ
没頭するというのは、自分が日々の生活で心を動かされているかどうかである
会話の間で、ほぼ全てにおいて『人に合わせている』と感じるようであれば、ピエロである
ピエロは、私の感覚では自分自身も[人]のような感覚で捉えている表現である

私は人に叱られる時に感情的になれない
人は怒りの感情をぶつけられる場合、その感情が伝染しやすい
私はまず考え、真意が何かを考える
なぜ怒られるのか、その叱りの感情に恨みや妬み、その他の悪意的感情はあるのか、
もしかすると悪意ではなく、よくみると単なるアドバイスなのではないか
そこに悪意がない限り、私は理性が働く
ではピエロは?
純粋に悪意があると受け取り感情を跳ね返すわけでもなく、真意をみるわけでもない

何を言えば楽しくなるのか
そう考えることが、ピエロと呼べるだろうf:id:Japangentlemen:20210622012746p:plain
もはや単純にその人を見ると、普通の人は可哀想な人、壊れてる、などと思うだろうが、実際に自分自身に置き換えて考えると

自分が最も正しいのはそれだと迷いもなく信じ、行動できるピエロ的思考は、誰よりも幸福だと思ってしまったのだ
サイコパスと意味は似ているような気もするが、実際にサイコパスも世界に没頭して生活している

私はピエロのような思考を取り入れたい
言い換えると自由奔放である
まるで子供の時のような、後先など一切考えずに動いていたあの頃のような思考である

大人になっても子供でいるのは間違っていると感じるのは、結局自分の常識が縛っているだけなのである
ピエロになってみたい
自分は変わったのである
あの頃の記憶は、今思い出しても全く違う感覚であろう
あの時感じたものは今は腐っているだろう

メンタルなど自分自身のコントロールのさじ加減なのかもしれないと、少し感じてしまう