タバコ依存の「境目」にいると自覚している
友達から誘われて、しぶしぶ1箱買って、しぶしぶ1本だけと吸ってみた飲み会
飲み会でしか吸わないし、タバコの効果も分からず次の飲み会で2~3本
少し効果が分かっても飲み会以外では吸わないからと禁煙して、次の飲み会では7本
さすがに自覚ありの危機感と、吸い過ぎて気持ち悪いがあったため、さすがに飲み会以外では絶対吸わないと言っていた
自分の頭がおかしくなっていっていることには、観ることができないしそもそも気付くことができない
家では吸えないから外で吸えるという思考に変わっていく
そして飲み会ではなく、しんどいことがあった前後に吸ってもいいという思考に変わる
バイト終わりは疲れた、頑張ったから吸ってもいい
タバコを初めて吸ったあの時のブレーキの効きとはずいぶん違う
そして自然にそんな思考になるので、意志では制御できないのが
人は吸い続けることで馬鹿になっっていることに、文字にしなければ分からないことが分かった(自分がこれを書いている途中に気付いたことである)
「科学的に体に害があると証明されている」や「吸うことが良くない世の中である」というのは、吸った人間が理解するのは簡単でも、行動することは困難である
もはや、私としては現時点での考え方として、行動できない脳になっていることが、過程からわかる
喫煙量をヘビースモーカーと比較して、まだ大丈夫だと吸い続ける
親にばれようと開き直る思考と化してしまった
ただ、「吸わないとイライラする」とはなってないし、タバコを没収されても良い機会だと、まだ思える
ここで誰かがブレーキを強く踏み続ける手伝いをしてくれれば、、ここから人生で一本も吸わずに生きることができるだろう
強制的だと言ってしまえば、自主的には辞められないということなのかもしれないが、今は体への影響もなく、ガタがきていないため辞める理由が見当たらない
厳密には、吸った時点で喫煙者だが、私としての喫煙者の視点ならば
ここが喫煙者と非喫煙者の「境目」ではないだろうか
ただ境目ではあるが、吸いたい気持ちが少しあると考えると、一歩だけ喫煙者側に足を踏み入れているような感じがする
逆に言えば、ここでやめなければ戻れない地点に立っているとも言えるが
戻ると言っても、歩く方向を変えるのではく、後ろ向きで歩くという意味になる
自分的には辞められない思考に陥っているような気がする・・・
禁煙外来に通うほどの重大さではないとも思っているが、どうすればよいのだろうか、タバコの煙のような気持ちである