発表の緊張時にできないと問いかけてくる面倒なもう一人の自分

 普段の生活ではあまりでてこないもう一人の面倒くさい自分

分かる?いつもは自分含め誰も何も言ってこないのに、緊張して「こんなこと自分にできるのかな。」って時に限って、横から自分に問いかけてくる

「お前は失敗する」

どれだけ自分で心を静めようとしても、できないと言ってくる自分が支配する

そうなったら何もできない

今ままでの自分の積み重ねを壊すように囁き続ける

「お前には無理だ」

気持ち悪い

最後の最後だけ出てくるな

人が見えてくると、全てを台無しにするように頭が真っ白になる

最後にできなかった自分だけを責める

あの時囁いてきた自分は姿を消す

肯定感なんて絞り出しても出てこない

練習以上は発揮できないなんて分かっている

でも、自分をできなくするのが自分なのは間違っている

こんなことになっても自分のせいだから

緊張は慣れだなんて、緊張している人に言うことではない

だから、もう一人の自分

 

結婚式余興で 行ったこと 感じたこと

昨日、親戚の結婚式があり、新郎新婦の親戚だけの結婚式でした

私は新郎側の親戚で、母のいとこの結婚式です

私は21歳で私のいとこ(妹)が最年少の15歳で、他は40歳を超えていました

なので結婚式の余興は私たち一番若い組が行う事になったわけです

私は妹がいますが一人でDA PAMPのパーティを、ピエロのジョーカーの格好で踊り、いとこは兄妹の二人でパプリカを踊ることになりました

 

結婚式の余興は私が2番手でした

私の性格上、ギリギリでやるタイプなので、踊りは一夜漬けで、メイクはその場の雰囲気に任せました

一番手のいとこのパプリカが始まって30分後に私のダンス疲労だったのですが、一夜漬けなので結婚式開始から、自分のダンスがうまくいくかで頭がいっぱいでした(-_-;)

 

いとこの二人は緊張しておらず、実際に踊ってみても、特に目立って恥ずかしかったり失敗していたような所はなく、拍手でその場を終えました

本当にすごい、、緊張しないで羨ましい

自分の番が近づくにつれて、変な汗がドンドンでてきます

 

20分後、進行の人からそろそろ準備をしてもらうように言われ、着替え室に移動しました

私の格好は、ピエロのジョーカ―だったので、メイクが必要でした

更に、踊りも中々テクニックが必要で、一夜漬けのレベルでイケるわけがないと思いながらも、なんとかなるとも安易に思っていました

メイクはなんとか様になった気がしましたが、問題はダンス

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写真は余興後なので、安心から自撮りできました笑

タバコは吸っていません(禁煙なので笑)

 

 

開始前は焦りながらも、メイクを終えカーテンが閉まっている間に動画のおさらいをしようと思いましたが、あまり時間がなかったので、見れずに曲が流れ始めました

音が流れた瞬間、その音量で、私の頭の中の全てが吹き飛び、何をすればいいのか分からなくなりました

心の中で「オワタ・・・」と思いながら、なんとなくテキトーにステップを踏んでいると

それを察したのか、何も知らない妹といとこの兄が舞台に飛び乗ってきました

 

そして、何もしらないまま一緒に踊ってくれたのです

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私は、人生はどうにかなると思い、なんとなく生きてきました

今考えると、結婚式を盛り上げるための準備としては、非常に失礼であり、一人では何もできないことがわかったのです

人生は、結局一人で生きるものだと思っていました

しかし本当に自分が困っている時に助けてくれた二人を見て、私は自分がどれだけ小さい心で生きてきたのか実感できた結婚式でした

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ダンスが終わると、私の見た目に興味を持った親族のみなさんが写真を撮ろうと、押し寄せてきて、なんとか成功したのだと、自分では感じました

 

結婚式では、しんどい時助けてくれる人は、きっといるんだと信じられるような式でした

自分がどれだけ小さな人間だったのかも実感できました

結婚式で巡り合えた体験は、本当に大事にすべきもの

 

他の人の人生を見て、自分も大きな人間になろうと感じることができる式で、とてもためになった式でした

 

 

「私は不幸だ」と自分の尺度で定義するな

幸せは、自分の価値観で決まるものである

何が幸せなのかは、自分次第であるが、幸せに対して固執することは、はたして幸せになれるのだろうか

例えば、お金

お金は、一見金額の大きさだけで幸福感をもたらすと思われがちだが、上限がなく、どれだけ貯めようが、もっと欲しいと思うため、実際は幸福になるためにお金を貯めるのは、幸福になるという点から外れている

逆に、収入が少ない人は、お金がないという不幸な気持ちと捉えがちだが、物を買う時の一つ一つのありがたみは、同じ物を買うという事においては、お金持ちに比べ、幸福感が多いだろう

もちろん、お金を持っていないから幸福というわけではない

ただ、物の価値観はお金を持たない程、代えがきかない上、買うお金が無いという点から、貴重になる

しかし、これはただの一例に過ぎない

 

幸せは、同じ状態ではいられない

幸せはすぐに違う幸せに変えなければならなくなる

一度得た幸福感は、得た瞬間からドンドン腐ってゆき、幸福感を与えなくなる

そして新しい幸福を見つけようとして、幸福とはなにかを考え続ける

考えても、見つからなければ自分は不幸なのだと思うようになる

幸せになりたいは、今不幸であると言っているようなもので、今の自分から抜け出したい、今の自分はストレスだと、自分に言っているのだ

そんなことをすれば、不幸になるのは当たり前である

自分を否定し続ける人間は、幸福から最も遠いところにいる

 

私は、決して恵まれた人間だとは思わない

身長も平均、顔も普通、性格も悪いと思う事があるし、学歴なんてみれたものではない

確かに自分の欠点をあげればきりがない

しかし、その欠点は、知ったところで変えれるものと変えられないものがある

現状をみて悔いるのは簡単だが、その自分をもってこれからどう生きるのかを考えなければ、幸福にはなれないだろう

 

そんなことをいうと自分は幸福だというような口調だが、別に幸福だと感じているわけではない

不幸や幸福は、今の自分に自分の尺度で定めるのは、私はあまり好きではない

確かにさっきまで、幸福は否定的な人には得るのが困難だと自論を言ったが、幸福を得ようとするために、自分を不幸だと定義して進めるのが危険だということなのだ

 

非常にタラタラした文章を書いてしま、私自身も含め、まずは今ある幸福は何かを考えてみようと思う

自分にある恵まれたモノは何なのかを考えてみよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駐輪場の思いやりスペースに止めたらタイヤ壊される

駅前の駐輪場があって、最近よく止めるんだけど、その日は予定が詰め詰めだったから、ものすごいスピードで自転車こいで、電車に間に合うために必死だったわけ

んで、思いやりスペースっていう、高齢者が自転車担いで上に止めたりするのはしんどいからって理由で設置された所で、あんまり止めるのはおススメじゃないってのは分かってた

でも時間がなくて、本当に無意識に、間空いてたから止めたんよ

言い訳だけど、そのまま夜中まで止めたんだけど、後輪タイヤがプ二プ二になってた

マジで思いやりスペースに止めるのはおススメせん

そもそも壊す道具持ってるのがやばい

タイヤだけでも修理に持ってったら5000円かかったし、次

 

ストレスに「まあいいや」ができればどれだけ楽だろうか

私たちは常に小さいストレスを与えられ続けている

例えば、エレベーターの待ち時間や周りからの視線

人間関係や、親の小言のようなふとした瞬間に受けるストレスや、継続して受け続けるストレスがある

特に、人間が関与してくるストレスは、頭の中で継続的に存在し続け、他の事をしていいても思い出してしまう程のストレスを与える

しかし、ストレスをもらい続けると、どこかで吹っ切れることがある

「面倒くさい」「もういいや」

ストレスを捨てられる耐性ができ始める

なんでもストレスを流すことはできないが、人間関係や周りの視線を気にしてしまうことをストレスとして、そんなストレス放棄した時、私は心が軽くなり、明るい気持ちになれる

しかし、避けられないストレスだってある

金銭面などはどうしても「まあいいや」と思うのには、限界がある

 

解決すべき事を解決せず逃げているだけでは?

そう思うかもしれないが、考え続け行動しないのならば、放棄しているのと何も変わらない

結局は自分だけが抱えているストレスなのだから、考えを放棄するのも自由である

しかしながら、実際私自身がそれを完璧にできているわけではない

まずは意識的にしていくことで、少しずつ定着させ、習慣づけることで、無意識にストレスを無視し続けていくことができるのではないかと考えた

だから、今自分は自分に「まあいいや」とストレスを捨ててみようぜと言い聞かせているわけだ

失敗に終わってもいいが、いらないストレスを捨ててみようと思う

 

 

 

友達に悩みを相談したら引かれた話

今日私は、よく遊ぶ高校の友達と飲みに行きました

朝はバレーサークルで練習、昼から飲みに行く話でした

13時から飲みに行くのは、早かったので、コートを買いに行ったり、靴を見たり、自由に満喫しました(友達と一緒に)

その後、17時から飲みに行き、中々酔いが回るまで飲みました

友達の飲めない分も余分に飲みながら、二人で高校の懐かしい話や、彼女がほしいけどできない悩みなどを話していきました

 

私は、どんどん飲んでいるうちに、ふと自分が誰にも言えずずっと悩んでいたことについて話し始めました

相当酔っていたのだと思いますが、私は覚えている限りでは、小学生の頃からこんな教育方針で、だめだと言われた事はできないと言われた環境で育ってきたから・・・

長々と公園で話し始めました

自分としては、なぜ急に自分が本当に悩んでいる事をペラペラと話しだしたのか分かりませんでしたが、ずっと抱えていてストレスが、ここにきて爆発したような感じがしました

しかし、詳しく話したものの、友達は「へえ、そうなんだ」と、目も合わせず空返事がポンポンと返ってくるばかり

私は前提として自分の悩みを聞いてもらっているのだという事を前提として、、友達に話していたため、テキトーな返事をされることは苦ではありませんでした

しかし、私の本当の悩みを聞いてもらったからには、相手の悩みも聞いて分かち合う必要があるのでは?と、相手の悩みを聞き出すべく、「○○の悩みはないんか??」と尋ねました

しかし、友達の返答は「ここで言うのはきついし泣くかもしれない」と、何度尋ねてもそのように返答してきます

何度尋ねてもそう返ってくるので、本当に自分だけで抱えるタイプで、誰にも言いたくない人なのでと解釈しました

人は考え方は違うのだから無理に話すことで、逆にストレスになる人もいると解釈し、終電まで歩き帰りました

友達の性格は分かっているつもりでしたが、自分の気持ちとしては、自分の抱える大きな悩みを暴露し聞いてもらったのだから、今度は相手の悩みを緩和したいと思うばかりでした

正直、あまりの空返事に、「そこまで深く話されても・・・」と思っているのではないか、友達として深く入り込み過ぎたと反省しています

それでも、信用したからこそ話せたわけなのですが、印象としては引き気味だったと感じました

小学生から抱える悩みを話したのですが、友達として引くのは悲しくなりました

気持ち悪いと思われているかもしれませんが、吐き出す事でストレスが緩和されたと、自分では解釈しました

 

私は、今帰ってきて、夜すぐにこの悩みについて書いています

友達に悩みを話すことは、友達にとって不快でどうでも良いことだったのでしょうか?

この気持ちをどうにか、自分は間違っていないと思うことはできないのでしょうか?

また一つ、人との関わり方について、悩みが増えてしまいました

 

このもやもやを晴らしたい

不便な左利き

スポーツの左利きって、なにかと得って言われますよね

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逆に箸なんかは右利きの方が邪魔にならないし、右利きの方を対象に世の中設定されてて、左利きが不便な方が多いと思います

部活の後輩はスポーツは右で、書いたりするのは左らしいのです

なんで逆に矯正したのか気になりますが、今回は左利きでは不便になるよってやつを書きたいと思います

また日本人の9割が右利きであり、大多数なので、社会的にも自然と右用に作られる事が多いです

 

左利きで不便な事

:店で置かれている箸先の向き左で、左側の右利きの人に当たる

書く:右で書きやすいようにできており、鉛筆を使うと、手が黒くなる

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線を引く:書くの範囲であるが、ものすごく線がひきにくい

改札:左手で持つと、手をまわして切符を入れたりタッチしなければならない

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自動販売:右側にお金を入れるところがある

はさみ:右手仕様になっており扱いづらい

:右びらきの本はめくりづらい

ドアノブ:右の逆の筋肉を使うため、可動範囲も狭く開けにくい

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