「私は不幸だ」と自分の尺度で定義するな

幸せは、自分の価値観で決まるものである

何が幸せなのかは、自分次第であるが、幸せに対して固執することは、はたして幸せになれるのだろうか

例えば、お金

お金は、一見金額の大きさだけで幸福感をもたらすと思われがちだが、上限がなく、どれだけ貯めようが、もっと欲しいと思うため、実際は幸福になるためにお金を貯めるのは、幸福になるという点から外れている

逆に、収入が少ない人は、お金がないという不幸な気持ちと捉えがちだが、物を買う時の一つ一つのありがたみは、同じ物を買うという事においては、お金持ちに比べ、幸福感が多いだろう

もちろん、お金を持っていないから幸福というわけではない

ただ、物の価値観はお金を持たない程、代えがきかない上、買うお金が無いという点から、貴重になる

しかし、これはただの一例に過ぎない

 

幸せは、同じ状態ではいられない

幸せはすぐに違う幸せに変えなければならなくなる

一度得た幸福感は、得た瞬間からドンドン腐ってゆき、幸福感を与えなくなる

そして新しい幸福を見つけようとして、幸福とはなにかを考え続ける

考えても、見つからなければ自分は不幸なのだと思うようになる

幸せになりたいは、今不幸であると言っているようなもので、今の自分から抜け出したい、今の自分はストレスだと、自分に言っているのだ

そんなことをすれば、不幸になるのは当たり前である

自分を否定し続ける人間は、幸福から最も遠いところにいる

 

私は、決して恵まれた人間だとは思わない

身長も平均、顔も普通、性格も悪いと思う事があるし、学歴なんてみれたものではない

確かに自分の欠点をあげればきりがない

しかし、その欠点は、知ったところで変えれるものと変えられないものがある

現状をみて悔いるのは簡単だが、その自分をもってこれからどう生きるのかを考えなければ、幸福にはなれないだろう

 

そんなことをいうと自分は幸福だというような口調だが、別に幸福だと感じているわけではない

不幸や幸福は、今の自分に自分の尺度で定めるのは、私はあまり好きではない

確かにさっきまで、幸福は否定的な人には得るのが困難だと自論を言ったが、幸福を得ようとするために、自分を不幸だと定義して進めるのが危険だということなのだ

 

非常にタラタラした文章を書いてしま、私自身も含め、まずは今ある幸福は何かを考えてみようと思う

自分にある恵まれたモノは何なのかを考えてみよう